貴方はご存知でしょうか。この実に愛くるしくも cool で smart な2シータースポーツカーのことを。1970年に産み落とされた我らが VW PORSCHE 914。この車の生い立ちをご紹介。
VW PORSCHE 914の発生
1. ミッドシップの時代
時は1960年代、ミッドシップレイアウトの時代が到来しようとしていた。当時デニス・ジェンキンソン(スターリングモスのコ・ドライバーでもあり、自らもレーサーでThe Racing Driver : The Theory and Practice of Fast Driving著者)は、「どの車が最初にミッドシップレイアウトを採用したか思い出すことは出来ないが、ポルシェ904は私が運転した車でもっとも優れており、スポーツカーとして最も適切なレイアウトで設計されていた・・・(中省略)ミッドシップレイアウトはスポーツカー/レーシングカーに最適なレイアウトであり、”サーキットから生まれた”ロードゴーイングスポーツカーであるならば、ミッドシップレイアウトであって欲しいものだ。」と考察している。
また、ポルシェ初のコンペティションカーはリアエンジンではなくミッドシップレイアウトの550スパイダー(ジェームス・ディーンがレースで常勝していた車としてあまりに有名)であり、多くの記録を樹立していた。その後のミッドシップコンペティションカー、904、906、907、908、そして今も映画「栄光のル・マン」にてその雄姿を見ることが出来る917も、いずれも多くの記録を樹立しつづけた名車達である。新しいスポーツカーのレイアウトにミッドシップ以外の選択肢はありえなかった。
注記)904は純コンペティションカーではない。
2. 商業的背景
長い歴史の中でポルシェとフォルクスワーゲンは歴史を共に過ごしてきた。それはヒトラー政権時の「自家用車の一家一台政策」により設立されたフォルクスワーゲン公社が、フェリー・ポルシェの祖父である「ドクター・フェルディナンド・ポルシェ」の設計したカブトムシ型の”あの車”を製造・販売する国営法人であったことからも容易にわかる。
60年代も半ばにさしかかると、VWはそのビートルで大成功しつつも新しい車の開発の必要性に迫られていた。カルマンギアは性能、デザイン両面においても時代遅れになりつつあり、可能であれば2座席のスポーツカーが必要であると考えていた。
ポルシェもまた、356から911にモデルはシフトしていたものの、911はシュツットガルトが予想していたよりもコストのかかりすぎるモデルとなっていた。また廉価版である912は販売が思わしくなく、ディーラーを満足させるには程遠い状況であった。従ってポルシェはより多く販売でき、かつ標準で6気筒エンジンが搭載可能な新しいモデルを欲していた。
長年の歴史をかえりみる中に多くの開発で関係をもっていた両社にとって、共同で「2シーターミッドシップスポーツカー」プロジェクトを行うという運命は実に必然であったと言える。
当時単なる中小企業にすぎなかったポルシェにとって、世界中に販売チャンネルを持つVWと共にプロジェクトを進めるという構想は、日を追うごとに現実味を帯びてくる。そしてついにフェリーポルシェは「我々の戦略を(低コストで)実現するためには、単独で開発することは難しい」と公表するまでに至った。
そして1960年代終盤に向けて、両社の間でその「新しいスポーツカー」の仕様が煮詰められて行く。同時に両社の共同出資による販売ディーラー「Volks Wargen Porsche」社の設立もまた、大きくその一歩を踏み出そうとしていた。
こうしてType914ことVolks Wargen Porsche 914は、シュツットガルトの地に産み落とされることとなる。
VW PORSCHE 914生産総数
914 | 914-6 | 年合計 | |
’70 | 13312 | 2668 | 15980 |
’71 | 16231 | 443 | 16674 |
’72 | 21580 | 240 | 21820 |
’73 | 27660 | – | 27660 |
’74 | 21370 | – | 21370 |
’75 | 11369 | – | 11369 |
’76 | 4075 | – | 4075 |
合計 | 115597 | 3351 | 118948 |
- 914-6の台数は914-6GT、916プロトタイプも含む
- 914-6はシャーシナンバー9140430011から始まるので30台マイナスの3321台という説もある